こうあるべきだと思ってた事が鬱でできなくなった時。〜鬱のときに出来る友達〜
やー、やー、やー、やー。
こんにちは。
鬱の時に、うわー、なんかもう言葉遣いとかも整えられねーわー。
めんどくせー、つーか脳がまわんねーって時。
だいぶ無礼な喋り方だった。
だいーぶ失礼な愛想、無愛想だった。
まじでスロースピードで働いてるし。
(バイトね。フルタイムなんて無理)
そんな時でも、なぜか女はできるし。
なぜか、新しい友達はできる。
仕事もなぜか、注意されない。あまり。
(まぁ、異様な負のオーラだったからか?笑)
そして、思った。
こうやらなきゃ失礼と思ってた、当たり前ができなくなっても…
あれ?友達できるぞ、と。
ん?気使い過ぎてたんやな。
こんな失礼でも、こんな素でも、それがいいって奴はいるんやな。
あれ、世間の人って結構ダラダラ仕事してね?
俺がこうあるべきって、一番接している人、親父の教えがでかすぎて。
相当急いで、親父に合わせてて、そのスピード感で動いてたけど。
そりゃ世間様は違うよね。
小さい頃に、従兄弟にやっほーのお父さんせっかちだよね。って言われた。
生まれた時から、その人と暮らしてるから、よくわかんない。
でも、その言葉はなぜか覚えてる。
そのスピードの習慣に身体と頭と心がついていけなくなった時、ボムですね。
私は私、俺は俺ですね。
マイペース、俺だけのペース、俺だけのリズムがありますね。
ほんで、こうするべき、あるべきという思いこみが外れてから(鬱で強制的に外れた。)
はら?世界は意外と、私が思ってるより受け入れてくれますね。って思った。
だから、最近はだいぶ、いや、かなり気楽に生きてる。
だいじょぶだぁ〜。
しかも、その波動の時は、その波動の時の友達が見つかる。(この場合は、鬱の時の波動ね。)
なんか、神はうまくバランス取ってるで。
だから
だいじょぶだぁ〜。