幸せが拡張していく世界ということを忘れるな。
なにが言いたいかと言うと、奪い合いは必要ないってこと。
狩猟をして、農作物を育て、漁業で魚を採った。
狩猟する必要がほぼなくなって、農作物も自然災害に見舞われても、ある程度はテクノロジーの発展でコントロール可能、収穫量も然り。
漁業も遥か昔よりも、船や魚群探知機などのテクノロジーの進化で漁獲量は増えてる。
奪い合いではないということ、どう効率的にみなが幸せになっていくか。
絶対に昔の殿様よりも、快適な環境で過ごしてるニート。
まぁ、それでも殿様という権威は幸せなのかもしれんな。
エアコンだけではニートやフリーターだと幸せに感じれないのかもしれないな。
社会的な生き物だな。
でも、やっぱりある程度のところで、幸せに気付かないと幸せは一生来ないかもな。
幸せは気づくものかもしれない。
もちろん、人はマインドとメンタルで病むことは出来る。
比べること、この年でニートだ、子どもも持てないなど、あげたらきりがない。
でも、自分を例にあげるとしたら、やはり理想と現実のギャップに苦しんだ。
開き直って寝た、何年も。
収入も、まぁ今の俺はこんなもんだろ、諦めた。
でも、英語を日本の教育ではなくて、自分で海外に飛び込んで、自分の感性で習得した。
メゾットにも運良く出逢った。
自分の感性は捨てたもんじゃない、信じ始めた。
それも尋常じゃなく。
親のこうあってほしいを諦めた、開き直って実家にいる。
親は不満かもしれないが、自分の幸福を優先させた。
もちろん、ずっとなんて居座る気はない。
まぁ開き直れるだけの体力の差もできた。
ホルモンバランスを崩して、死にたいと思うこともあるけど。
俺に限っては、やはり理想と現実とのギャップが根本原因だったような気もしなくもない。
今なら加藤浩次がラジオで、俺なんてこんなもんだろって言う意味がよくわかる。
あの頃は、嘘?こんな強気で成功してるのに、ホントにそんな風に思ってるのかな?卑下しすぎ嘘でしょって思ってた。
まずは、こんなもんでしょから、そこからもし伸ばせるものがあったら儲けもんくらいでいいと思う。
俺はしっかり寝るのが好き、朝は起きづらい。
それにあった自分にあった、自分だけの生まれ持ったペースを探り探り見つけて、生きるだけ。
そんなに、ものはいらない。
世界に手に入るものは増えている。