めちゃくちゃ鬱だった時。
とりあえず、人と会話ができなくなる。
脳が回らないっていうか。喋れない。
すぐに鬼のように疲れる。
相当な睡眠が必要になる。
でも、治したくて生活リズムの改善のために多少のバイトもしなくてはならなかった。
スポーツクラブで働く。
といっても、基本はジムで監視してるだけ。
プールで監視してるだけ。
約2時間から3時間しか働かなかった。
夜、寝てるのに、働くと帰ってきてまだ昼間なのにまた泥のように眠る。
バイト時代、その仕事内容にはまじで助かった。誰ともホントに喋りたくなかったし、喋れなかった。
愛想なんて、振りまけない。
だから、職場の人と仲良くなんてなれない。
書類とかの書面なんてのもまともに書けないし、面倒くさすぎて書ける気がしない。
最近は、そういうのも出来るし。ふと、だいぶ復活してきたなぁと思う。
弱くなってみて、弱い人の気持ちがわかったことは人間としてはプラスだと思う。
健康時代は喋らないで、じっとしてる仕事なんてあり得なかった。
なんだか、そういう静かなタイプの人たちの気持ちも少しは理解できたのかもしれない。
そもそも、なにかを途中で投げ出すことは簡単には許されない、日本の風土や親の教育だった。
サッカーも、よしもとも、英語も。
でも壊れるまで頑張るって必要はないし。
子どもを見てれば、意志の力で続けるってことはしない。飽きたら他の事をやる。
継続ももちろん、大事だけど。
世にいう成功者の続けろって言葉は、多少なりともその事柄が向いてるっていうことがある。
向いてないものを、無理して続けると壊れることもある。
成功者は成功したから続けろとは言うよね。成功してるから。
自分の心が、やりたくないと思うならやめるのはありだと思う。
壊れる前に。壊れる代償はでかい。
例えば、サッカーが好きでも指導者と反りが合わなければ、たぶん楽しくなくなる。
信念をもって、自分のスタイルを貫けたり、自分を信じぬけるなら続けられるかもな。
でも、若い時って正解だと思っても少し難しいよな。
周りの空気で、やっぱみんなが言うしこっちにしておくか。みたいな。
でもそれはやっぱり続かない。
だから、いい指導者に会えるとか、自分の感覚信じぬけるとか、多少の運の要素が絡んでくると思う。
でも、壊れてみて、壊れたから自分の感覚信じようってなるし。
なんか、自分の中のものさしが出来上がる。
今じゃ、年上だろうがアホなこと言っていれば、あっ、こいつ偽物だな。とんちんかんなこと言ってると思うし。
でも、壊れなくても、今のままの感覚で君のその感覚はたぶん正しいよ。
俺は壊れなきゃわからなかった。元気だったから、他人の意見や他人のご機嫌に従ってた。違うなって思っていても。
俺が海外で英語の先生にあった時、やっぱりすぐにビビっと感じたもん。
あっ、この方法はたぶん、英語伸びるわ。
しかも普通に楽しいし、伸びてる感覚がわかったし。これが本物の努力っぽいなって。
そんな人に出逢えるのは、運の要素が多いけど。
結構本物はすぐわかるよ。
やめようが、投げ出そうが、元気なら動けるし出会う確率も高まる。
壊れると、行動が制限されるからさ。
まぁ、自分の感覚を信じようよって話し。
オワリ